2017年10月27日 (金)

久々に、今の自分の気持ちを若干披瀝させて戴きました。

3.11が起こった年の6月、見よう見まねで始めた当ツイッター。
それまでも薄々と思っていた原発への不安(ウラン、プルトニウム等の核使用)と懸念、そしておぞましさが現実化した事実。
更にお粗末過ぎる大事故後の対応等、ツイッターの何たるかも知らず、タイトル通りの「怒り」を冠とした反原発の一文を載せたのを契機として今日に至っている。
正直言うと、幾度、かったるさで止めようと思った事か。
さらに今年6月、20日間の点滴打ちっぱなしの足が主体の筋肉痙攣、私としてはそう無い重病に襲われ、この際ツイッターに別れを告げるつもりだった。
が、ご存知の通り、これまた余りにお粗末な政治体制と(反動的)戦前回帰行動が続き、今もツイッターを続けている次第。
歳には関係ないとは(自身)言いながらもやはり楽な事ではない。
今回の衆院選、自公に敗れたとはいえ立憲民主党の台頭を始め、市民連合の熱い戦いぶりに(性格上)ソッポを向く訳にもいかず、今日も含めチョボチョボと続けている。
それはさておき、原発に象徴されるように、「核」は先の2発の(大戦の)原爆で多大な犠牲と苦痛を痛いほど味わされた我々の筈だが、未だ目を覚まさず、それどころか…。
今後、当ツイッターをどうするか自問自答している毎日だが、仲間が頑張っている以上続けざるを得ないとは思っている昨今ではある。
本当に気ままな当ブログの(執筆)存在で、見て戴いて方々には失礼極まり無い事を謝して今回はこの辺で…。

2017.10.27/keisshirai:白井景 記

2017年9月 9日 (土)

大病⁉︎ して……。

実は、今年の夏(6-7月)、私は想像だにしない大病に襲われました。
下半身のほとんどの筋肉が不能に陥ってしまったのです。
救急車で大病院に運ばれ、何と点滴のまま20日間。
今から思えば原因は、不摂生がその全てのように思います。
もちろん過年齢もそれなりには違いありませんが、デタラメぶりの生活が主原因はまず間違いのない所です。
それでも生きて帰って来ました。
余計な事ですが皆さんもお気をつけください。

それにしても日本の政治感覚というより、それを取り巻く道徳感、とりわけこれでもかの戦前回帰には呆れるばかりです。
生活は苦しくとも、人間味溢れる戦後まもなくの多くの環境が懐かしく感じる事しきりの今日このごではあります。

2017年4月 2日 (日)

2年間のブランクを経て...。

正直な話、2年間のブランクがあったので、2017年シリーズ初戦オーストラリアを見ていても面白かったのか、面白くなかったのか、まだピンとこない面が多々。その原因は(私は)レギュレーション変更がめまぐるしかったのも一因だと考える。コンペティションという事をFIAの面々は意識し過ぎで、追い抜きの仕方でもエンタメの為を重視し過ぎ。次の中国戦で多少答えが掴めるかも知れない。マシンデザインは全体にきれいになった印象。

2017年1月29日 (日)

戦後72年 平和の俳句

「ちからなく終わるいのちのいとおしく」
東京世田谷区 遠藤さん67歳

1.29東京新聞:戦後72年 平和の俳句から

[いとうせいこう]
寺の住職が教えてくれる人生への慈しみ。
力なく終わる命に注ぐ優しい視線こそが、終わった命を輝かせる。
平和に死す者への賛辞。

2017年1月19日 (木)

「平和の俳句」より

戦(いくさ)なきことこそ良けれ嬰(やや)の尻
―戦後72年/平和の俳句
名古屋/中野さん 76歳より
1.19東京新聞

原発問題、沖縄問題、共謀罪問題.....etc。毎日毎日、おどろおどろしい活字が紙面に躍らない日がない。悲しい社会にしている者達を許せない。keis.

2017年1月10日 (火)

今年もよろしくお願いいたします。

健康は相変わらず優れませんが、それでも合間を見て今年は、当ブログをこれまでよりも多少なりとも増やしたいと考えています。皆様どうかよろしくお願いいたします。keis.

2016年10月 4日 (火)

東京新聞の記事が我がツィッターに多いのは....。

一度は挙げておかなければならないと思い書く事にしました。
私のツィッターに東京新聞発(掲載)が多いのはそれなりの理由があるのです。
むろん私に言わせれば、良心的でタイムリーな記事が多く誤字が少ないというのもありますが、その前に、古くから我が家は同紙の読者であったのです。
実は私の兄二人は戦後、相ついで明治大学新聞学科(今は同学科はありません)卒業後、東京新聞の記者だったのです。
言うまでもなく戦後は食料事情が悪く、二人共病気になり相次いで退職を余儀なくされて今日に至っています。
因みに、従兄弟は朝日新聞の現役の記者で今も頑張っています。
自慢話じみているのでこの事を書くのを躊躇していました。
が私もそこそこの年齢となり、自身も長い編集経験上、色んな意味で書いて置くのも必要かとも思い重い腰をやっと上げた次第です。
無論、皆さんには無関係の話で今更という感じも否めません。
聞き流して頂ければ幸いです。
kei.

2016年9月18日 (日)

あと2本載せたかったが。

ほぼ毎日のように、気になる記事(ほとんどが東京新聞掲載)をツイッターにアップして今日まで来ている私ですが、その理由はふたつーひとつは自分の記録用、そしてもうひとつは関東、中京地区以外(東京新聞、中日新聞発行区域外)の人、あるいはSNSを普段していない人用と言えるかとも思います。
いつまで同様の形が採れるかは正直あまり自信はないのですが、まだもう少しは続けたいとは思っています。
ところで今日は、本当はあと2本アップしたかったところでした。
1本は「こちら特報部/貧困たたき 若者NO-NHK報道で炎上:抗議のデモ-結成1年AEQUITASとは」、そしてもう1本は連載「新貧乏物語/年金プア(5):15歳から納め増額 逆に不安増すなんて」です。
いづれも現在の世相を諸に反映したものといえましょうが、一方で実に悲しい話ではあります。

東京新聞の各記事に、図々しくかつ多分に頼っている面もある私ですが、一方で揺れ動く(激動の)毎日に安堵感の日常が訪れ、幸せ感多い記事が多く載る事を願ってもいるところでもあります。

2016.9.18記

2016年8月12日 (金)

75という数字

75歳と相成りました。

75という数字は、実は、私には重い数字だったのです。
厳密に言えば、去年意識していた数字でした。
それまでは、ここまで生きられるとは考えられなかったし、70過ぎてもその感はかなり強かったのです。
それが3.11の震災・大事故が私の思考を一変させました。
原発否定が、チェルノブイリ原発事故以來の感覚を蘇らせたのです。
それを持って、脱原発者としてツイッターを始めるきっかけともなったのです。
更に、追い打ちをかけるように、戦後70年、平和日本に信じられない反動内閣が突然の如く頭をもたげ、進捗度激しく現在に至っている訳です。
原発も再稼働し、後者は憲法改悪への道をひたすら歩み続けています。
呑気に隠居生活という感覚はとても持てませんでした。
当ブログの初期に多少書ましたが、私は世界大戦開戦の年に生まれ、幼くして疎開を経験し、空襲で家は丸燃え、家族もろとも命からがら逃げたのです。
兄は学徒出陣でしたが出撃前に敗戦となりました。
日本は、戦後は貧しくとも平和への道をひたすら突き進んできました。
それが今、なぜ?と問う間もなく恐ろしい世界へと入り込んできているのです。
年を考える暇なく私の70歳代はこうして今となっているのです。
まだ平和日本を見るまでは死ねません。
拙劣ですが私なりに反動と戦い続けるつもりです。
最後に、なぜ75の数字にこだわったのかの答えですが、私の親父が旅経った年齢が75だったからなのです。
また書きます。
keis.

2016年6月26日 (日)

為すべき事が山程あろう!

幼い児童によるやむにやまれぬ犯罪 、高齢者のいたたまれぬ事件等ー近年日本の抱える悲劇は、このふたつだけを持ってしてもやり切れない思いにさせる。一般論として、政治・経済・厚生面等の近年の、顕著に表れている歪み等は、言うまでもなく勿論、早急に是正させねばならないが、特に福祉関係を始めとする、(全体的に)弱者の社会的問題は地方行政を含め、国と関係者が早急に再構築させねばならない至近の問題であろう。戦争云々と、たわけた事を口にさえ出来る余裕などはないのだ。

«再開予定、皆様懲りずによろしく!

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